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親を捨てよ、家を出よう-阿月ヒカル ~言葉と詩の花束No.6~

2000.11.11著

子供を一人前にしたければ、上手に殺されなさい
と言いたいところだが、
自分が精神的な父親殺しを経験してないだけに、分からないのだろう。

かつて、寺山修司は言った。『書を捨てよ、町へ出よう』
これを阿月流に応用すれば、『親を捨てよ、家を出よう』になる。

  阿月工房さんのサイト「言葉の花束・Eclipse」
    『親を捨てよ、家を出よう』 より
http://www.ne.jp/asahi/flora/rosewater/eclipse/index.htm
(もう閉鎖されています。)

2007年8月 正真正銘の阿月様よりメールを頂き、下記サイトでバックナンバーが公開されている旨ご連絡頂きました。
その後、変遷がありましたが、現在はちょっと見れないようです。(格納されたのかな?)
その代わりと言ってはなんですが、下記をご紹介しておきましょう。

寺山修司の『時速100キロの人生相談』~高校生の悩みに芸術的回答~

もともと、ご姉妹でサイト【阿月工房】を運営されていたように思いますが、おそらく、今回メールを頂いたのは、お姉さんのサイトにエッセイ【eclipse】を掲載されていた妹さんだと思います。
どちらにしても、ご姉妹そろって、素晴らしい感性で文章を書いておられました。

現在の阿月ヒカルさんのサイトのTOPページは↓こちら↓です。
ペンネームは「阿月まり」あるいは「優月まり」さんとなっています。


阿月ファンの私としては探し物を見つけたときのように嬉しい思いでした。
国際結婚されて、落ち着かれた今、新たなサイトとともに子育てのメールマガジンも発行されています。


昨日、久々に5年生のわが息子を叱って、夜の11時も過ぎて寒空に
叩き出した。
お尻を思い切り叩いた。お尻を2回ほど足で蹴ってもしまった。
傍目にみれば虐待に映ったかもしれない。

これほど激しく怒るときは己が心の震え、痛みも激しい。
「甘やかしてばっかりいないで、時々は怒ってよ」と妻からクレーム
をつけられるほどめったには怒らないが、怒るときは徹底的に怒る。
どうもそういう傾向が私にはある。

妻は、2人の子どもに応じて隔年程度に何度かPTAの役員や学級
代表などをしている。好きでしている訳ではない。
誰も引き受けないダンマリ忍耐合戦に耐え切れず、あほらしくなって
連年の任務でも覚悟して口火を切るそうである。

働いているわけでもないのに一度も引き受けない人が沢山いる。
又、そういう人に限って文句だけは一人前なのには口をアングリという
ことも少なくないらしい。

実は私自身、この手の人間が一番嫌いというか、どんな精神構造をして
いるのかが不思議でならない。
自分のことを棚に上げて、人だけ攻撃するという人間は最低の人種だと思う。

PTAに限らず、世の中のことたいがいにおいて、

自分の責任であっても人に責任を押し付ける人種 と
自分に責任が無くても自らの責任を問い、その一端を背負う人種 とに
はっきり二分されるような気がするのは気のせいではないだろう。

勉強と躾は学校に任せ、進学は塾に任せ、教養は習い事に任せ、
娯楽はテレビやテレビゲームに子守りしてもらい、食事は外食や市販の
お惣菜に任せ、PTAは他人に押し付け、私は何をする人ぞ。

とくれば、クレームをつけることぐらいしかやることがない。

そして、人にイチャモンをつけるのがこれ又面白い。止められない。
親としての責任までが人に面倒見てもらえるからとっても気が楽!
「私の子どもがこんなになったのはひとえに学校の責任よ!」に行き着く。

過去、私の2人の子どもの担任になった先生で親の評判のよくない先生
が何人かあった。
実際ふたを開けてみると反対に例外なく素晴らしいか、むしろ良い部類に
入る先生だなあという感想の先生たちであった。
ポリシーがあった。

親に評判の良かった先生は、実は、授業中に塾の勉強をしていてもOKの
先生群であることが後で分かったのだが・・・。

そのうちの一人の男性教諭は顔を見ただけで、所謂文部省推薦/紋切り型
人間の代表選手であることが体全体に刻み込まれているのが一目で
分かった。私は、この手の教師には嘔吐をもよおす・・。

「前例がありませんので・・・」「規則ですから・・・」「慣習ですから・・・」等
と繰り返すことだけを商売にしている類の種族である。
「愛」のかけらも無い。
持ち合わせているのは「単純事務作業の虫」であることだけなのだ。
エンデ流にいえば、時間銀行の最も重要な融資先になるのだろうか・・・。

民間ではどこに行っても先ず役に立たないような気の無い抜けた赤ら顔。
”ゾゾゲ”が立つとはこういう人間を見て発するのだと瞬間に思った。

愛することの辛さとしんどさと責任までを放棄した親たちに子どもたちは
何を見ているだろうか・・。
”寄生”の安寧に身を委ねているのは確実に「親」なのだ。
そして子どもが自らが親になり、新たな”寄生”を再生産していくという
はてしない物語・・・。

妻は言った。
「この世を支えているのは1/3か良心的に見積もっても半分の人だと思う。」
社会に寄生する者は、親子関係にさえ寄生するのだろうか・・?
愛される自分を見出しながら、親を超えて本当の大人に巣立っていく
子どもたちがどれほどいるだろうかと嘆かざるを得ない。

阿月ヒカルさんについて~ことばのちから~

2007年8月 阿月様よりメールを頂いた。
今はもう『阿月』なるペンネームは使われていないが、
私には今でも『阿月ヒカル』なのだ。

『もう7年前に書いた記事なのに、今もこうしてネットの上に残しておいて
下さる方がいて、本当に感激しています。』
という言葉とともに・・。
阿月ファンだった私としても青天の霹靂だった。

当時、阿月さんの言葉の力にただ驚いたものだ。

まだ若いはずなのに、この言葉の重さはどこからくるのだ?
いまどき、これほどインテリジェンスのある若い女性がいるとは驚きだった。
皆さんもバックナンバーに全て目を通してみられるとお感じになるかもしれません。
下手な作家や似非評論家の言葉より、ずっと身体を突き通すエナジーを持っている。

『eclipse』バックナンバー

以下に、私が書いた阿月さんへのお返事をご紹介に変えさせて頂きます。

私も、探し物を見つけた時のように嬉しくって
すぐにお返事させて頂きたかったのですが、
設計業(機械系)が超忙しくて、今頃になってしまいました。

とても懐かしかったです。
もう7年前にもなるのですね!

> 「親を捨てよ、家を出よう」ICL Crystal collabollation 21

この記事に書いている息子がもう高校3年、私が50歳を
超えてしまったのですから、本当に月日は無残に過ぎていく
ことを感じてしまいます。

阿月ファンとしては、いつしかサイトが無くなってしまって
淋しかったですね。
一度メールさせて頂き、お返事も頂いた覚えがあります。

阿月さんの言葉にはすごく力がありますよね。
それが強烈な印象です。

同じことを自分が書いたとしても、この力の差は
どこにあるのだろうと思うばかり・・・。
私よりずっと若いはずなのに、ずっと老練な力がある。
単に斜に構えるだけでは出てこない力が・・・。
そう思っていました。

別にもてはやすわけではありませんが、
自分がイメージしている【文化】が【阿月ヒカル】の中にあった。

【まるメゾン】を少しだけ覗かせて頂きましたが、
改めてそう思いました。

また、【阿月】の風をもらうことができるのですね。

「eclipse」の最後だったのでしょうか?

『PURE』の中の

>人間の一生というのは、自分という人格を完成させる為にあるのだ。

>人間は高まれば高まるほど、限りなく仏に近づくものだ。

なんかは、まさに私の実感する言葉そのものでした。

【仏】という言葉を、これほど的確に使えるのは
相当精神的な旅をしていないと使えない・・・。

【阿月】の【阿】から、高橋和巳の邪宗門の主人公
行徳阿礼か行徳阿貴を勝手にイメージしていましたが、
阿弥陀仏の【阿】だったのかも・・。

中略

ともかくも、『人は人』と言っている場合ではなく、
【流され無文化】に【主体性文化】を与えるという動機付け
を一人でも多くがやらなくては・・・。
普通に考えておかしいことはおかしいと言える文化。
自分のドタマで行動する文化。

このままじゃ、日本どころか人間がマジ危ない。

そう思うわけです。

【阿月】の文化だけのことじゃないですが、
私自身の【文化】も含めて、ヒッソリだけじゃいけない。

インテリジェンスに力を持たせるのは【文化】しかない。

そう思うわけです。

丸くなるだけが【仏】への道でもない。

【にんげん】のために鋭く尖ることも【仏】への道には
必ずあることと思います。

なにげない顔をしながら【戦争】が距離を詰めて来ている。
ここ数年、まだ濃度は薄いけれどきな臭い臭いをプンプン感じるのは
私だけだろうかと思っていたら、やはり【ガラスのウサギ】の高木敏子さん
がその危惧を感じておられるというNHKの番組を目にして、
やはり錯覚ではなかったんだと・・・

戦後世代の私でも、この臭いはきっと戦前の臭いと同質のものだろうことを
想像するにはやぶさかではありません。

国家の【欲望】が【正義】という錦の御旗を振りかざして、虎視眈々と
その出番を待ちわびているのです!

手を貸した半分の人たちが最前線に赴くのならまだしも、
手を貸した人は、自分だけは決して最前線に行かないのが常だから
話がおかしくなるのだけれども・・・。

書を捨てよ町へ出よう
カルト的人気を誇る寺山修司監督作が、低価格で再発売。
‘家出のすすめ’に共鳴する若者たちの、鬱屈した心情を描き出す。
寺山が劇場用に初めて製作した実験映画。
(「VIDEO INSIDER JAPAN」データベースより)

寺山修司をご存知の方も、もう少ないかもしれません。
私が高校生から大学生の時代に活躍した前衛的戯曲者です。
【天井桟敷】と言えば思い出す人も多いかもしれません。

アングラと呼ばれた名称とは似つかない、朴訥とした人でしたね。
【書を捨てよ町へ出よう】という衝撃的なタイトルだけで、何を言うべきかが類推されると思います。
私自身はと言えば、『俺自身が本だ!』と格好つけていた当時がありました。

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