豊かさとは何か 暉峻 淑子 ~ノロのつぶやきNo.25~
2011.11.20著
娘が担当だった教授に勧められて持ち帰っている本を手に取ってみる。
古くからある陳腐なテーマだけれども、「豊かさ」の質は、僕の若い頃と何の変化も見受けられない。
だからというわけでもないけれど、スキップリーディングで読むことにする。
思えば、「自分自身が考えること自体が本であるから、もう本など必要はない。」と自惚れた30歳直前以来、ほとんど本を手に取ることはなかった。
いや、本など視界には全く入らないほど僕たちの業界は過酷な波に飲み込まれていたという事情が重なってしまったことが大きいかもしれない。
技術などというものに奉仕するアホらしさを感じた45歳以降、少し本を読むようになった。
そして、今は久野綾希子さんの”Memory”を聞きながら本ページをしたためている。
結婚1周年だっただろうか、プロモーションを見て久野綾希子さんのファンとなった僕は、西梅田仮設劇場で初代グリザベラ久野綾希子の"cats"を妻と共に観ることにしたのだった。
この年、久野綾希子さんはこの梅田キャッツシアターを最後に劇団四季を退団されたことで、より一層、家内も僕も久野グリザベラの鮮烈な印象が忘れられない。
久野グリザベラを観ることが出来た幸せ、これこそが「豊かさ」というものだと思いながら・・・。
その後、子育ても一段落した折に「オペラ座の怪人」も二人で観た。
その後、妻は娘と頻繁に劇団四季を鑑賞に行き、挙句の果ては横浜まで"cats"を観に行く始末。
グリザベラ;久野綾希子さん シラバブ;野村玲子さん
さて、この著者の名前が読めない。
暉峻 淑子?
実に情けない話だ。
「てるおか いつこ」と読むそうだ。
本書は1989年初版だから、僕にとっては、まさに技術屋として過酷な日々を送る真っ只中の時期に出版された本であるから、知らないのも致し方ないとしておくしかない。
著者が西ドイツなど海外に滞在した経験をもって、外から見た日本の豊かさの表情がモチーフに描かれた評論である。
「豊かさとは何か」なるテーマは昔から至るところで語られ、中学生・高校生の時期には特に問いかけるテーマそのものでもあるから、さして目新しいものではないけれども、いつしか日常からもぎ取られてしまった懐かしい感情が蘇ってくる。
本書でも、子どもたちの生の声が掲載されているが、実は誰でもが疑問に思い理想社会の観念を描いてきたテーマそのものである。
なのに、現実は大人になり社会に出ると、思い描いた理想の社会像などは二度と想起することなく人生の大部分を過ごしてしまう。
生活を人質に取られたごく普通の身の上としては当然の帰結かもしれない。
あるとき、ラジオの人気アナウンサーが「理想を追い求めるのはいいことなんですよ。でも、いい歳になって、世の中にあまり相容れないのも大人になれない子ども。」といったような主旨の話をし、アシスタントも当たり前のようにこれに頷いていたのに少々ムッとした。
世の流れに沿うことがいい歳をした大人の知恵とでも言いたげな彼も、きっと、この手の本を読んだ後は、極めて真面目な顔をして、「本当の豊かさを実現するように誰もが行動しなければなりませんね」などとコメントして結ぶんでしょう。
自分も若い頃は理想を考えていたと自分を正当化した上で、「でも、・・・」と続ける。
そして、視聴者もそう言ってもらえると、「そうだ!そうだ!」と優しい言葉に救われる。
これが現実なんでしょうから、「豊かさ」なんて、本当に「えらいこっちゃ」となるまでパラダイムシフトすることはないと断言できそうです。
僕に言わせれば、いい歳になって理想を理想とも思わず体裁よく妥協することのどこが大人なのかと疑問に思うわけですが、「大人の知恵」という言葉で美化される。
オリンパスの損失隠しだって、真実に近づきそうな奴が居れば、前社長ですら解任してしまう。
一介の技術屋の立場から言えば、一生懸命開発した価値を、非価値が好きな文系トップによって台無しにされる悔しさは如何ほどかと思いますね。
それでも見て見ぬフリをすることが賢い生き方になる世の中ってどうなんでしょう?
そんなだからこそ、子供たちは「大人は汚い」と思っても当たり前でしょう。
そして、大人はそれを「お前のためだ」と必死に矯正しようとする。
この構図の次第送りが延々と続くばかり。
愛のない家庭なんてものは、こういったところから徐々に徐々に形成されていくのではないのか?
そんな風に思えてしまうのです。
本書に書かれている高校生の声を少しだけ、ランダムにピックアップ引用しておきましょう。
この頃、高校生だった彼らは、今は40歳前後でしょうか。
社会の最前線で働き盛りの時期をどのような思いで過ごしておられるのでしょうか。
- 日本人は、まるで日本という工場で作り出された製品のようだ。・・・
- ・・・干渉されすぎて個性を殺されてしまい、自分の主張が持てなく・・・
- 出る杭は打たれる、の言葉通りに、すぐれた考えを持っている人も平均化されてしまい・・・
- 日本人は、自分さえ豊かになれば、自分さえ健康であれば、という考えが頭の根底にあります。・・・
- ・・・もうこの辺で成長はストップしてくれないだろうか・・・
また、5000にものぼる子どもたちの作品の中で、「人間が生きるためなら何をしてもよい」と言っている作品はひとつも無かったという前書きの紹介とともに、ヘレン・エクスレイ編著「美しい地球を汚さないで」の子どもたちの言葉が紹介されています。
- しあわせとは、まわりのものを大切にすること。・・・(イギリスの子ども)
- 私の町には木がありません・・・。(公務員天国で財政破綻した国の子ども)
- 科学と発明。圧迫感と緊張、嫌悪と恐怖。これではまったく地獄だわ。(オーストラリアの若者)
- わたし、こわいの。未来がどうなっているか考えるのが。・・・(スェーデンの子ども)
- お願い。私たちにも何か残しておいて。ちゃんとした地球を残しておいて。(バミューダの子ども)
何時の時代も子どもや若者の思いに大差はありません。
この今、2011年でも同じ思いだと思います。
そうでなければ気持ち悪いですよね。
子どもたちの言葉を見ていると、涙が出てきますよね。
だんだん悪くなる地球を分かっていながら子孫を残そうとする私たちの身勝手に・・。
ガルブレイスが予測した欲望を操ることでしか維持できない経済システムは、もはや「価値の生産」では賄いきれずに「非価値」を「価値」と見せかける領域にまで踏み込まなければならなくなっている。
今や、経済的代謝異常、エコノミカル・メタボの症状を呈しているのではないか?
文化を食い尽くしながら・・・。
とすれば、見て見ぬふりの生活習慣が知らず知らずの間に招いた病なのかもしれないということにもなる。
この生活習慣は、一体誰のために、何によって身についてしまったのだろうか?
-続く-



