阪神淡路大震災の地より-読者の皆様から-
2001.01.17著
本日1月17日、阪神淡路大震災の丸6年目の日がやって来ました。
こんなお便り頂きました。
今は仕事の関係で大阪に住んでいますが、私は神戸出身です。
ひと頃に比べると随分とマシになりましたが、震災以来、神戸の街はなんだか荒んでしまったように思います。もちろん町並みは年々美しくなり、便利になりましたが、人は年々自分本意になってきたように思います。
自分がされたくないことは人にしてはいけないと、自分がしてもらったら嬉しいことは人にもしてあげたいと、普通は思うはずだというのはもう通用しないのでしょうか。
自分が生まれ育った街は世界で一番素晴らしい街であってほしいのですが・・・。
震災を経験したことによって、神戸だけが他の街より自分勝手な傾向が強いということは地元に住む人間にとってはあまり思いたくありませんよね。
本当のところどうなんでしょうか?
本マガジン第3号の”パンダの独り言”で神戸王子動物園のパンダの災難のお話を記しましたが、これが神戸だからこその現象というのではあまりにも悲しいですものね。
街並みを見れば、本当に神戸は表向き見事な復興を遂げています。
しかし、私たちの現実の生活の場である、そこかしこの路地裏では重い荷物を少しずつ軽くしていこうという営みで満ち満ちているのが確かに嘘偽りの無い現実ではないでしょうか?
ご存知のように、私は家電の流通の動きにも一般の方よりは身近な立場にあるのでお話することが出来るのですが、震災以来昨年においてすら神戸のショップは大阪に比べてサッパリという状態が引き続いているのが現実です。
大きな打撃から回復するのには想像以上のエネルギーが必要なことは自然の理法からも当然のことなのですが、例に洩れず、神戸の経済も不況以上の落ち込みが依然続いたままの状態で推移しています。
表向きの体裁は見苦しくしたくないのが人間の自然な思いでありますから外から見れば立ち直ったんだなあと思われがちですが、実際はその後遺症がボディーブローのようにじわじわ効いて来ている段階という気がします。
「人どころではない」神戸は確かにあるのだろうとは推察されます。
あの時、破壊されたが故に見えてきたものを確かに私たちは感じ取った筈なんですが、復興が進むにつれて、その見えてきたものから再び現実の世界に力なく引き戻らざるを得ないとき、その反動が一層きついのも事実だという気がしないでもありません。
いずれにしても、神戸が本当の豊かさの道標になって欲しいと心から願いますし、自分自身がそうなる志向をもって捉えていきたいと思っています。
<震災裏話>
あの震災のとき、各自治体は先ず何に困ったと思います?
実は、棺桶の確保とドライアイスの確保だったのです。
棺桶は大阪の堺から仕入れるしか手はありません。
しかも、あの交通事情ですから、上がってくる死体の速度にも及ばないほど、輸送に異常な時を必要としたのです。
一方、ドライアイスなどは輸送に時間をかけられない!しかし、近くに業者自体が1社しか無い。
とにかく「フル稼働せよ!」の至上命令だったといいます。
そして、ガス会社は先ず何をしたと思います?
「まず、火葬場にガスを通せ!」だったそうです。
あの時、現場で陣頭指揮を取った自治体の皆様。
不眠不休で本当にご苦労様でした。
一市民として、ここに感謝の言葉を捧げます。
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