プラントに生命を吹き込む男たちの詩 ~ノロのつぶやきNo.12~
2000.11.11著
3連休、和歌山。重厚長大プラント現場・・・私の専門とは異なる分野の現場にて。
社会人となってすぐに建築現場で実習をしたことがある。
足の指に重量物を落とした。
資材運搬用ゴンドラエレベータで指を詰めた。
いずれも紫色に腫れ上がり、完全に爪がはがれた。
死ぬほど痛かった指を庇いながら休むことなく長い実習を終えた
その思い出が今は懐かしい。
その2年後位だろうか、今度は研究現場で5Fレベルからの鉄の塊
ラチェットスパナ落下の洗礼を浴びた。
上で工務部門が作業していることを認識しないでのヘルメット不着用。
作業帽子のみでの作業中であった。
帽子には見事に鋭い穴があき、作業着はみるみる血で染まり、
救急車を待つのももどかしかったのだろう。
会社の車で病院に運ばれた。
事故の瞬間、頭に手をやった時の温もりが血の温もりだったと分かったとき
不思議に感動したことを忘れない。
幸い、建築柱への緩衝のおかげで、回転しながらの衝突で垂直分力が分散、
軽減されたため頭蓋骨陥没にも至らず奇跡的にも縫合手術のみで済んだ。
直撃なら頭貫通の悲惨な事態であったかもしれない。
あの時に若くして私の人生は終わっていたのだ。
数年後、電気・電子製品の生産自動化設備が私の世界となった。
軽薄短小の世界への転身からはもうすぐ20年が経つ。
久々に見る重厚長大の現場である。
そのいずれの世界にも共通することがある。
それは、「待った無し」「明日は無い」ということである。
明日の生産に「待った」は無い。
生産が休みの土・日が現地での正念場だ。
会社の事業に育つまでは開発・設計・現場据付、
全てを自分でやらなければならない。
真っ白な灰になるかと思えるほどの日々を数知れず送る。
現地での長期缶詰、徹夜。
土曜日も日曜日も無い。
無事一つがなし終えても、次の業務に入ると、休んでいても悩みは頭を離れない。
寝ていても、頭は絶えず稼動し、チェックし計算している。
信じられないことだが、この就寝中の働きが実際にミスを防ぐことが度々あった。
そしてこれがメタルカラーの宿命なのかもしれない。
ここ和歌山にも、プラントに命を吹き込む男たちの詩があった。
世間は3連休の中、試運転調整で働き続ける男たちが居た。
プラント現場としては初めての経験であったが、技術と経験でテキパキ動く男たちの
背中は確実に世の中を支えている風格が漂う。
あの巨大なプラントを全て把握し、動かせるように出来るのは彼らしか居ないのだ。
大量の資源消費が産み出した一つの産物ダイオキシン。
その対策のために激務で働いている男たちがいる。
帰り着いたホテルのテレビでは今、叙勲制度の必要性の検証を取り上げている。
叙勲に関しては、政治的な作用力が大きく影響するなどと言っているが、
そんなことは誰に教えて貰わなくても、常識であることは容易に想像できるし、
確信もしている。
文化の日のニュースを見るたびに定番の茶番劇に興味さえそそられない。
勲位を上げてもらいたいとワイロを送るアホウが居る。
こんなものを自ら貰いたがる連中は所詮ロクな文化人ではない。
単なる「文化屋」と言われても仕方がない類である。
しかも、受賞者は民間は3割しかないとか言っている。
無能が有能を支配する日本社会の象徴である。
「個人的には全く要らない」と言っていた経済団体の会長さんの意見は
極めて正常な感覚である。
厳しい経済の中に身を置く立場としても、
のうのうとしたお上の道楽になど付き合っていられない
というのが当然の本音だろう。
たかが「文化」だ!
誰に生かして貰ってるのか?
そんなことが分かれば、辞退するのがむしろ常識人というものである。
俳優小沢昭一氏が、これに似たようなことを随分昔だが言っておられた。
私が中学生か高校生の頃のように記憶しているので、随分昔だ!
「小沢昭一の小沢昭一的こころ」というラジオ番組だったように思うが、
「私たち俳優は、皆さんに俳優であることを許して貰えて初めて俳優で
いられる資格があるんだ。」と・・・。
社会に寄生している者ほど、自分が生かされているという感謝は無い。
社会を支えている者ほど、自分も生かされているという感謝に深い。
ここ和歌山の環境プラント現場で、黙々と働く技術者やスーパーバイザーの姿の中に、
文化の日の茶番とは対称的に、「世の中の傘になり続ける」名もない男たちの詩が聞こえた。
本能だけの無能者が物知り顔でしたい放題をしている国がある。
お前達だけで、最初から国を成り立たせてみるがいい。



