ニュージーランドよ泣かないで(Don't cry for yourself New Zealand)~原発の無い国へ~

Don't cry for yourself New Zealand.

Don't cry for yourself Christchurch.

だって、あなたの国New Zealandには原発は1基もないのだから。
そして、あなたの国New Zealandは世界初の【非核宣言国】
単なる宣言だけでなく、法律として【非核】を制度化した唯一の国。

本当は、唯一の被爆国である日本こそが、世界に規範を示さねばならないはずなのに...。
被爆国日本よりもはるかに核に対して賢明な道を選んだコモンセンスの国。

日本は【非核三原則】を唱えてはいても、原発は何故か別枠。
そんな【非核三原則】ですら、タワケたちによって廃棄される恐れに脅かされています。

Garden of home in Christchurch・・・1985/01/28
一般家庭のお庭・・・1985/01/28

Christchurchは実に美しい街。
どの家のガーデンも百花繚乱を競い合う。
日が沈んだ後、ネオンが煌くこともない健やかさ。

そして、New Zealandの食品基準は世界で指折りの厳しさ。
食事も実に美味い!
食品偽装オンパレードの国は置いて行かれるばかりかな?

今から28年前の1985年、僕たちは新婚旅行でニュージーランドを訪れました。

企業の技術屋として真っ白に燃え尽きるかと思った20代後半の日々を経た後のジャスト30歳での結婚でした。

あの頃は、まだ新婚旅行としてもメジャーなコースではなく、やっぱりハワイがメジャーだった時代。

ほとんどフリーだったからこその珍道中が今も思い出を飾ります。

拙い英語にも笑顔で応えてくれた街の人々。
そして、最初に訪れたクライストチャーチでは8月6日は【HIROSHIMA DAY】だという。

The Cathedral(1) in Christchurch・・・1985/01/28
大聖堂・・・1985/01/28

ちょうど僕たちが訪れた頃に、【非核宣言】のメモリアルディとして始まったようですが、その時の首相こそが世界に対して、米仏に対して【非核】政策を毅然として貫き続けたデビッド・ロンギ首相。

日本と同じく地震国として原発を持たない賢明さ。
それ以前に【非核】を掲げた良識。

先進国からは落っこちした南太平洋のしがない国だから、現実離れした理想を押し通すことが出来たのだという陰口もあるようだけれども、こんな陰口を叩くのは、結局、深奥で人としてのあるべき姿を放棄することを、体のいい言葉で合理化しているだけではないだろうか?

何も、ニュージーランドが理想郷だなどと、美しい言葉で隣の芝生を語るつもりはありません。
人間である以上、どんな人々にもどんな国々にも様々な醜い面は多々あるので自然なことなのですから・・・。

非核ニュージーランドの選択 by デービッド・ロンギ
「小さな大国」ニュージーランドの教えるもの―世界と日本を先導した南の理想郷 by 日本ニュージーランド学会

けれども、一部の人々に負の贈り物を意図的に押し付けることだけはいただけません。
遅れて来る人々に負の贈り物を意図的に押し付けることだけはいただけません。

2011年、東日本大震災の少し前に発生したカンタベリー地震で大聖堂の尖塔は崩れ落ちたけれど、どうぞ泣かないでChristchurch。

むしろ、【汚染水は完全にコントロールできている】などと技術ですらど素人の文民トップが、スポーツバカではない世界のほとんどの人々は呆れ返ったであろう根拠のない無責任な嘘をついてまで、自分の実績作りのためにオリンピックの招致に執念を燃やした厚顔無恥で無様な日本の有り様に泣いてやってください。

ニュージーランドの食品安全基準は世界でも有数の厳しさであることをご存知でしょうか?

私の家内がパートで入っている厨房には天才的なシェフが居るのですが、その彼が「変な国産品を買うよりはNZ産の輸入食品を買う方が余程安心だ」と言っておられたそうです。

日本のように食品偽装など許されない国なのです。
そして、BSE(狂牛病)や口蹄疫等重大な家畜伝染病や植物病害虫は未だに発生したことがない国だということです。

日本では狂牛病騒ぎが起こった後、様々な対策をした結果、2013年にやっと【BSEのリスクを無視できる国】としてOEI(国際獣疫事務局)に認められたのですが、日本の狂牛病騒ぎの時もアメリカの牛肉の輸入が禁止されたときも、唯一安心して輸入することができた国がニュージーランドとオーストラリアであったことを見ても、その安心度が伺われます。

ニュージーランドには先住民族のマオリ族が暮らしています。

もちろん今までに様々な桎梏があったことは言うまでもありませんが、それを経てニュージーランドでは英語とマオリ語が公用語とされ、小学校ではマオリ語は必修となっているようです。

マオリ族でもマオリ語を喋れない人が多くなっているのは日本のアイヌと同じ状況と言えそうですが、マオリ語のみならずマオリ文化を大切にしようという姿勢を国家として示すことは、マイノリティを尊重するという民主主義の根幹を希求しているという点で学ぶべき点が多いのではないでしょうか?

いつの頃からか、『経済成長、経済成長』との強迫概念に追い回されて、良いも悪いも関係なくただ稼ぐために盲目的に『仕事』と称する営みをすることで血眼になって大国を目指してきた私たちの国日本。

その結果、人としてニュージーランドより物心両面で幸せな生活を送れていると言えるのでしょうか?
むしろ、限りない将来への不安と今の苛立ちがあるのみに見え、ふと、虚しさがこみ上げてきます。


■ニュージーランド/クライストチャーチ・オークランドの風景・・・1985年1月28日~2月3日撮影の一部

※全ての写真はクリックで画像拡大できます。

※残りの写真も見つかり次第追加して参ります。

MT.Tasman and MT.Cook from Lake Matheson
マウント・タスマンとマウント・クック
Garden of factory in Christchurch・・・1985/01/28
工場の庭/クライストチャーチ
Garden of home in Christchurch・・・1985/01/28
家庭の庭/クライストチャーチ
The Cathedral(2) in Christchurch・・・1985/01/28
大聖堂/クライストチャーチ
The Cathedral(1) in Christchurch・・・1985/01/28
大聖堂/クライストチャーチ
Hotel Chateau Regency in Christchurch・・1985/01/28~31
シャトー・リージェンシー/クライストチャーチ
At MT.Cook(1)・・・1985/01/29
マウント・クック
At MT.Cook(2)・・・1985/01/29
マウント・クック
Hagley Park in Christchurch・・・1985/01/31
ハグレー公園/クライストチャーチ
Post Office in Christchurch・・・1985/01/31
郵便局/クライストチャーチ
University of Canterbury, former school building・・・1985/01/30
カンタベリー大学旧校舎/クライストチャーチ
The Canterbury Museum・・・1985/01/30
カンタベリー博物館/クライストチャーチ
The view of Auckland city・・・1985/02/01
オークランド市街地
with Mr.John and Mrs.Michiko Young in Auckland・・・1985/02/02
オークランドにて
One Tree Hill in Auckland(1)・・・1985/02/02・・・1985/02/02
One Tree Hill/オークランド
One Tree Hill in Auckland(2)・・・1985/02/02・・・1985/02/02
One Tree Hill/オークランド

-2013年10月4日-


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