鉄腕アトムと小出裕章教授の脱原発への願い

-2011年7月6日著-

鉄腕アトム
Astro Boy (アトム) / Pietro Zuco

最初に注意事項ですが、小出裕章氏は教授ではありません。准教授でもありません。

それどころか、「講師」ですらない「助教」の地位です。

長いものが巧みに作り出しコントロールする雰囲気に流されてさえいれば楽が出来る現実社会の醜さを垣間見る事実の一つです。

いつの時代にも、真実を追い求める人が居たからこそ、まだ世界はこうやってかろうじて命を繋げていることが出来るのは確かでしょう。
ツケを先送りしながらではあっても・・・。

そういった意味で、小出裕章氏こそが鉄腕アトムであり、はたまた、教授であるべき方でしょう。

  1. ■今驚くようなニュースが...

    本ページをアップしたと思いきや、その当日の今夜、九州電力によって、玄海原発再稼動の民意を得るために、運転再開を支持する意見をやらせとしてするように関連会社に要請していたというニュースが飛び込んで来ました。

    組織ぐるみなのか、どっかのアホ管理職のアイディアなのかは分かりませんが、この方たちはこんなことをするために親に育ててもらい、それなりの立派な教育をつけてもらったのかと思うと情けなくなります。

鉄腕アトムの哀しみ

玄海原発の運転再開を政府が佐賀県に申し入れました。
「政府が保証する」のだそうですね。

一体何を保証するのでしょうか?

「もし、福島原発のような事態が起これば、政府が事後処理にお金を出し、政府が被災者に土下座して誤り、賠償金を支払います。」ということを保証するという意味でしょうね。

決して、「玄海原発周辺住民の生命を保証する」ということではないですよね。
その保証が出来るという人は誰一人居ないでしょうから・・。
居るとすれば、自分が神にでもなったつもりで驕り高ぶる人ですよね。

地震、特に大規模地震を100発100中予測させる科学的理論と実証の裏づけに加え、原発全体の安全性の完璧な根拠がなければ出来ないはずです。

すなわち、「絶対にあり得ない」との保証はできないけれど、起こったときのお金の保証はするということですね。

しかし、「玄海原発周辺住民の生命を保証する」ことを条件とするなら運転再開を受け入れると提案したとして、必ず政府は条件にOKを出すことでしょう。

再び続いてこのような大規模地震が起こらない、ましてや玄界灘には発生しないであろうという政治としての希望的予測でこの条件を受け入れると思います。
口では何とでも言えることが染みついた安倍という人の得意技ですからね。

ただ、「担保として、原発再開をしたいと願っているあなた方政治家とその後ろ盾となる学者・評論家等の全ての人は、玄海周辺に固執しないけれど、必ず全国いずれかの原発のある地の半径5Km以内に家族ともども居を構えること」という条件を付加すれば、おそらく様子は一変するかもしれませんが・・・。

大飯原発再稼働と脱原発列島

今回の事態に至って、さすがにというか、やっとのことで、世論も「脱原発」の方向へと流れを変えたかに見えます。

しかし、一方で、どこかに空気を読むだけの「流行り」としての浅薄さも感じないではありません。

あるいは、前回触れたように、やっぱり、「経済効果がないから脱原発の方向で」というレベルでの論議になってしまうのかという残念な思いもあります。

もし、こういった、雰囲気に飲み込まれるというだけの要素や経済的な都合上だけの要素が大きいとするならば、それは逆に歓迎されるべきことではないと感じるからです。

例えば、電力不足に陥って、一般家庭がとても困った状況に陥ったとすると、今度は「やっぱり原発は必要なんだ」とコロッと流れは変わってしまうかもしれません。
そこには、価値観を反映する論理の軸が全くなく、自分の都合だけでコロコロと変わっていく怖さがあると思うのです。

学術書よりもビジネス書
政治家自身が、そうなんだから仕方がないとはいえ、こういった雰囲気だけで動いてしまうこと自体を考え直さなければならないと思うのです。

たいていは、原発について何も知らなかったという場合がほとんどでしょう。
となると、誰が言っている意見も正しく思えてくるのも当然のことです。

なんだか難しい用語で、「原発は安全なんだ」と言われると、そうかなぁと思う。
「原発はCO2を出さないから温暖化の歯止めに必要」と言われると、そうかなぁと思う。
「本当かなぁ?」と疑ったり確かめる作業はしないわけです。

例えば、

  • 「原発はCO2を出さないって言うけれど、廃棄物の処理や再処理するときに到るまで全サイクルでCO2を出さないのかよ?」
  • 「そもそも、温暖化は廃熱を宇宙に捨てられないから起こるんだよね。CO2削減は分かるけど、廃熱はどうしてんのよ?核エネルギーは質量欠損の差分を熱エネルギーとして放出することで、普通の化学反応の熱放出の比じゃないよね。海の温度を相当暖めてんじゃねえの?」

理系出身の方なら、普通にそういった疑問が湧いてきますよね。

国会でだって、良識ある地震学者さんも核物理学者さんも、何回かは原発の危険性について警鐘を鳴らしてきたはずなんですよね。

それでも、知識や知見や論理や良心よりも、推進前提の課題消化にしか目が向いていないから、結局、有識者の意見を聞くなんて、お飾りみたいなものに形骸化しているってことではないですか?

意識しているしていないにかかわらず、単なる国民に対するパフォーマンスだけに終わっているということではないでしょうか?

昨日、福島の被災者の方が、「誰がというより、政府・国会議員全てを取っ替えて・・・」というようなことを言われていましたが、昨今の政府の対応を見ていると、実にそういうことなんだと思いますね。

管首相だけがボロクソに言われていますが、だいたいが自民を含めて民主も皆、原発推進してきた同じ穴の狢なんですから、尻拭いの上手下手を非難しあっているより、誰もが責任を感じて必死に復興を早急に進める提案をしていくのが良識というものでしょう。

ところで、今回の事態も、津波が来る前に破損していたかどうかは微妙なラインに思えると前回書きましたが、 もし、そうならば、やっぱり本体よりは配管の破損だろうなと思うわけです。

プラントなんてものは、原子力にかかわらず、「配管のオバケ」なんですよね。
でも、本体には結構神経を使いますけれども、配管にはそこまで神経使わないのが常です。

僕は、プラントが専門ではなく、プラント業界自体にはほとんど縁もなく、1年間ほどゴミ焼却場設計の図面に携わった経験しかありません。
また、「原発について」トップページでも書きましたように、核廃棄物再処理工場の図面に2~3ヶ月携わってしまった大汚点があるのみです。

また、現場もゴミ焼却プラントの現場を見たことがあるに過ぎませんので分かりませんが、僕たちのウロウロする自動化設備業界の設計では、とにかく「配管」と言われただけで嫌気がさすんですね。

せいぜい、一つの生産ラインの配管、通常的には八分までの空圧・油圧配管程度のレベルなんですけれども、配管系統図は面白いのですが、配管図になると嫌で嫌でたまらない。

「配管図の仕事あるんですけど」・・「遠慮しときます」てな具合でしたね。
まぁ、プラントを専門に従事していれば楽しくなるのかもしれませんが、どうなんでしょう?

僕だけかもしれませんが、まぁ配管設計が好きな人にはお目にかかったことがありません。
ただ、配管図ばっかりやっている人も居ると聞いたことはあります。
皆が嫌がるから、その分チャージが高いところもあるようです。

どちらにしても、ただでさえ辛気臭い設計分野でも、「配管」は地味な仕事です。
同様に、メンテナンス部門も地味で目立たない裏方仕事ですし、しかもモチベーションを維持するには難しい。

そんな裏方も全て含めて初めて「技術」なわけですから、純粋技術の側面だけでなく、携わる人間のマインドの問題も大きく関わってきます。


ガラスの地球を救え

さて、僕はテレビアニメ「鉄腕アトム」で育った世代なのですが、その作者である手塚治虫氏は、晩年の随筆「ガラスの地球を救え」で、鉄腕アトムは、決して科学至上主義を賛美するために書いた作品ではなかったと書いておられます。

確かに、核融合エネルギーを動力として10万馬力の力を発揮するアトムも、優しさや弱さを背負った極めて人間的な姿として描かれていましたね。

少し話が脱線しますが、僕の嫁さんは、「リボンの騎士」を欠かさず見ていたようですから、その当時の女の子は、ほとんどが「リボンの騎士」で育ったのかもしれませんね。

僕は、中学3年生頃から、とにかく権威や常識に楯突くことが好きでしたから、大学生時代は「ブラックジャック」も胸がすく思いで読んだものでした。

所謂、「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」というやつです。
そんなこともあって、子どもたちがチビの頃は、宝塚にある手塚治虫記念館に何度か連れて行ったものです。

さて、手塚治虫さんの作品の根底に流れているものは、まさに「一切衆生」の思いなんですね。
生きとし生けるものへの命の賛歌であり、それを育む自然に対する謙虚さが溢れています。

「アトムの哀しみ」の中では、

「それでもなお、やはり、僕は人間がいとおしい。生きる物すべてがいとおしい」

と書かれています。

もう一つ、「何が必要な情報か?」の中では、

「僕はとどのつまり、生命の尊厳を伝える情報が最も必要でかつ重要な情報だと思います」

と書いておられます。

まさに、僕たちは、人間が人間たる所以である人間性を喪失しないために、「一切が衆生」の思いを伝えていかなければなりません。

アトムが人間になろうと悩み努力する姿は、まさに僕たちが人間であることから離脱しないための願いが込められていたと言えるでしょう。
知恵・知識も伴った心優しい人になれという願いそのものではなかったかと思うのです。

僕は、もう事実上引退しましたが、専門は、産業ロボットも含めた自動機械分野です。
昨今のロボット技術の進歩は確かにすごいものだと思いますが、それでも、はっきりと言えるのは、人間の筋肉動作に限りなく近い動作は出来るようになっても、決して人間には叶わないことです。

ましてや、決して、脳機能は、もっともっと足元にも及ばないレベルにしか到達する事は出来ないでしょう。
鉄腕アトムは決して出来ません。

さて、本題ですが、何故、原発の話でアトムの話をしたかというと、手塚治虫さんの願いをご紹介することもさることながら、もう一つ理由があるからです。
アトムが核融合エネルギーを動力としていたからではありません。
純粋にカッコイイからです。

アトムのような、あるいは僕の場合は、スーパーマンのようなという形容もあったのですが、カッコイイ存在になれる可能性をもった道に進めばよかったなぁという思いがよぎることが多かったからです。
そう感じさせられるときは、たいていそういう存在に出会ったときなのですが、その存在の一人をご紹介したかったからです。

今回の原発問題に関しては、僕もご縁があったという関係で小浜 明通寺 中島哲演 住職の話題から入りましたが、次は、僕にとっての鉄腕アトム的存在としての小出裕章 教授をご紹介せねばならないと思ったからです。

ちなみに、僕にとっての鉄腕アトムの元祖は、故宇井 純氏なんですが、ともに、「人の生命」を原点に据え、真実に対してブレないという共通点があるんですね。

小出裕章 教授は、ほとんどの方はご存知だと思いますが、自分の専門フィールドで、その専門を否定するための研究をされている方です。
ぶっちゃけ、こういう風に生きることもできたんだということを教えてくれた方ですね。

将来防衛のために、ただの一度とはいえ、自分の信念を騙して核廃棄物処理施設の図面に携わってしまった自分の情けなさを思い知らせてくれました。
アトムの優しさと賢さを兼ね備えたカッコ良さを感じるわけですね。

何を言うよりも、東北大震災後にYouTubeに投稿された、小出裕章 教授の講演会の動画、【大切な人に伝えてください】とタイトルにありますので、ここでご紹介しておこうと思います。

この動画では、やはり98%の方が高い評価をされているわけですが、先ほども述べましたように、単に雰囲気としての「脱原発」に終わらないようにしたいものです。
一方、それでも純粋に2%の方は評価しないわけですから、生物としての多様性も如何ともしがたい自然の中での確率事象なのだという気がします。

ですから、僕たちは、いつでも生命の尊厳を第一義においた営みをしているかどうかを監視しておかなければ、この2%の人々に雰囲気で転向した人々を加えた、経済優先の勢力にいつ負けるとも限らないのが現実だと思うのです。

原子力発電が単なるボイラーであることがお分かりいただけると思います。
別に、原理自体は何も難しいものではありません。
その原理を実現する装置自体の詳細は、本当に設計者・管理者しか分かりませんが、ある程度勉強すれば、概略は分かるようになるでしょう。

しかし、そんなことを勉強しても、原子力を安全だと言い切れる結論は導き出せません。
放射線を持った副産物が大量に発生する物理的事実は覆せないのですから・・。
そして、放射線は生命体の遺伝子を傷つけるという事実があるのみです。

このビデオで紹介されている東海村の臨界事故で被曝した作業者の悲惨な症状。
これが原発なんだということです。
でも、たった一人の命と片付けて、国全体が原発を進めてきたというのが現実です。

そして、核廃棄物もそうですが、CO2を発生しないクリーンエネルギーだと宣伝されたことに、やるせない憤りを感じるわけです。

そもそも、原子力は、原子核の結合エネルギーが源泉にあるわけです。
それを中性子を当てて核分裂させることによって、結合エネルギーの一部を解放して熱エネルギーとして取り出すことです。

先ほども述べましたように、普通の化学反応から発生する熱量の比じゃありません。
このとんでもない熱を冷やすために海水を利用するわけですが、結局、最終的に廃熱は、通常でも若干の放射性物質をも含みながら海水に戻っていくのですね。
火力発電なら空気へ放出されますが、原子力発電の廃熱は全部ではありませんが、海に捨てられます。

空気に放出された熱は自然に天に昇っていき、最終的には熱のゴミ捨て場宇宙に捨てられるでしょうが、海に捨てられた熱はどうでしょうか?
確実に、潜熱として海に蓄積されることは確実ではないでしょうか?

エントロピーの捨て場が無いツケはいつの日か必ず巡ってくることでしょう。


-追記:2014年4月22日-

岐阜大学名誉教授の寺島隆吉博士が、国際教育総合文化研究所の寺島研究室にて、『チョムスキーに聞く「教育の管理統制方法」と「誠実な知識人の運命」』を翻訳されています。
興味のあられる方は是非ご一読ください。

タイトルに関する現実というものが実によく分かります。
世界の平和と一切衆生への尊厳を基底に持つことは自然に対する『誠実』に他なりません。

チョムスキーは意外にも、アメリカで『誠実』であろうとすることに対する抑圧は大したことはないと言います。

他国や多民族に対するとなると恐ろしいほど迫害・抑圧することと比べればその比ではなく、同国民に対してはダダッ子として放置している程度のレベルの抑圧しかできないのだと...。

私達の国でも少なくとも小出先生のように冷遇されながらでも細々と生きていけるのです。
そして、小出先生と同じく誠実であろうとする人々は世の中にいくらでも居るのです。

ただ、阿呆な文化や情報を巧妙にあてがわれる中で、『真実』と『誠実』を見ようとしないだけなのではないかと感じています。

この時代、論文引用数が最も多いと言われるチョムスキーの本の一つや二つは読んでおきたいものです。

そして、一人でも多くが、決して徒党を組むことなく個として『誠実』であろうとする方向へ進みたいものです。


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