原発のこと | 一粒の麦・一粒の種・一衆生として
東日本大震災に伴う福島原発の事故は、大変な事態となってしまいました。
一貫して原発反対を唱えてきた多くの方々が恐れていたように、この僕にしても、いつかは起こり得るだろうと予測はしていた事態が現実になってしまいました。
いわき市の知人からは、「いわきは、さながらゴーストタウンだ」と聞き及んでいます。
彼は、神戸でも被災し、新たに出発したいわきでも被災しました。
それでも彼は言っていました。
「頑張るしかない」と・・・。
2011年3月11日は、今は亡き母が2回目の退院をした、まさにその当日でした。
「これで、もう一度楽しい時を持つことができる」という希望を、母自体も抱いて退院した日でした。
僕は、手続きやら帰宅後の食事の準備などで、夜7時ごろまではこの大震災のことを
知らずにいたのですが、たまたま就活で信州に行っていた息子が、電車が動かず
帰れないかもしれないなどという連絡が入り、ネットで調べて初めて知った次第でした。
それも、最新情報である余震の情報を見て、「なんで東北のこの程度の地震で信州の
交通機関が動かないの?」と不思議に思ったほどでした。
それが、どうも様子がおかしいと思って詳しく調べようとして、初めて本震の大きさと
衝撃的な状況を掴んだ次第でした。
母は、3度目の再入院となる3月23日まで、自宅において被災地の様子や被災者の様子を
テレビで見ては、思わず涙を流しボロボロと大泣きしていました。
まだ、曲がりなりにもリビングに連れてきて食卓に座らせることが出来た最後の10日間。
その後は、3度目の再入院と退院後を通じて、ベッドの上だけの生活となり、痛みと憂鬱で、
テレビも上の空の日々を送ることになったのです。
「本当に、日本はどないなるんやろ?あんたらを心配したるわ。」
「こんな強いもの勝ちの無茶苦茶な世の中に誰がしたんやって、皆がしたんやないの。」
「きっと、寂しい人数で一から世の中を建て直す時期が来るんと違う?」
阪神淡路大震災のことも、僕が言わなければ記憶から呼び出せないのかな
と思えるほど認知症も進んでいた母が、最後まで口癖のように言ったそんな言葉たち・・・。
ともかくも、この国の権力者たちは、いや世界の指導者たちは「経済」という化け物に
呪いをかけられ、人間としての正気を失っているかのように僕には見えます。
原発なども、今日まで、自分には直接関わらないこととして、まるで人生ゲームの戦略
を練る楽しみとでもいうようなお気楽な程度にしか、彼らは捉えていなかったことでしょう。
動き出した列車の行き先のことなど考えずに、ひたすら今のスピードや位置だけを観察し
制御することに躍起になることが「政」だと思っている。
一旦立ち止まって、行き先のことなどを考えることは非常に難解で辛い。
そんな難題を考える気はないから、「今までの延長上に幸福はある」と単純に合理化する。
既成概念に縛られることの安穏さを選ぶしか術がない種族だとしか僕には見えないのです。
それはそれで行ければよかったのだけれども、長い月日必ず行き詰るときが来る。
それが、今回の東日本大地震だったと言えるのでしょう。
しかし、いざ、こういった大変な事態になっても、彼らはその責任を何も取ることなく、
ツケをやはり大多数の一般庶民に押し付けるだけで済ませてしまえるところがミソです。
この事態に命を賭して立ち向かうのは、名もなき現場の管理者・作業員たちなんです。
おそらく、技術の現場を知っている方なら痛いほど分かると思うのですが、こういった
大変な事態になればなるほど、自らの責任において、命を賭して問題解決に立ち向かうのが
現場の人間の気質、技術者の気質というものなんです。
被爆圏内にある農作物を出荷制限するのなら、得意げに推進してきた彼らが買い上げて、
彼ら自身こそが食べてからするべきが筋であり、首尾一貫性というものではないかと強く思います。
「もし、重大な事態が起これば、私たちが汚染したところに住み、汚染した食料を食することで責任を取る」というぐらいの責任においてやるべきことだったのではないでしょうか?
このシリーズの中で述べようと考えていますが、僕には、原発に関しては、自分の人生の大汚点
としてずっと引きずっている出来事があります。
ですから、自分自身の後ろめたさとも、きっぱり訣別する意味でも、原発のことは書かねばならないと思ったわけです。
僕が、独立してから固く心に決めていたことは、
- 原発関連の仕事をしないこと
- 軍需関連の仕事をしないこと
もちろん、これらの分野が自分にはあまり関係のない分野でしたから心配はしていませんでした。
しかし、ちょうど阪神淡路大震災の後、数年経った頃でしょうか、取引先から、「どうしても手伝って欲しい」、「1ヶ月でいいから手伝って欲しい」などと執拗に頼まれたのが、六ヶ所村の核廃棄物再処理工場プラントの編集設計という仕事でした。
僕もここまでに2回は断っていたのですが、このときはかなり執拗に懇願され、自動機分野・環境危機分野でかなり安定した収入をもたらせてくれる取引先であったことから、「何故、原発の仕事など取るねん?」と思いながらも、どこかに、「再処理施設だからまぁ仕方ないか」と自分を合理化し、自分の信念を曲げて受けてしまったのでした。
僕は、これだけが要因ではありませんが、この頃から、技術というもの、技術への意欲を急速に失速していったことは間違いありません。
2次請けの仕事の一式丸投げの編集設計の支援だからということではなく、自動機屋には、原子力に限らずプラントというものが実につまらない業務でした。
ただ、僕は普通の設計では使ったことのない「鉛」で分厚い開閉機構を作る図面を初めて経験し、やたらラビリンス構造を施すのが印象的だったことを覚えています。
放射線にもラビリンス効果ってあるのでしょうが、こんなものかと少々拍子抜けした覚えがあり、何よりも業務の役所的な進行での無駄の多さに充分嫌気がさし、後悔したものでした。
まぁ、とにかく、少しだけ支援した僕でも、「設計だけでも莫大なお金がかかるわな!何故、こんなことしてまで原発なのか?」と思ったものです。
原発から放出される放射線には、α線・β線・(X線)・γ線・中性子線があります。
エネルギーの高いγ線は質量も電荷も持たない電磁波なのですが、これを遮蔽する能力は、遮蔽物の単位面積あたりの重量に比例するということで、安価な鉛が使われるわけですね。
大切なことは、何も難しいことではありません。
原子力発電は、核反応を利用して電力を作る代わりに、廃棄物として放射能を持った物質を
生産するということであり、何らかの事故があれば、放射線や放射能を持った物質で周囲を
汚染する可能性があるという事実だけです。
事実と言ったのは、海外でも日本でも事故の大小はあっても、現実に起こっているからです。
起こっていずとも、この単純な物理的現実に異議を唱える人などは居るはずもありません。
原子力の理論や技術を何も知らない権力者たちが、何故、原子力を推進したがるのでしょうか?
もし、あなたなら、自分があまり知らないことを「さぁ、やろう!やろう!」と言うでしょうか?
きっと、原子力と言えば最先端のように思えますから、好意的に見たしても、せいぜい、「カッコイイことをやって功績と名前を残そう」という浅はかな魂胆しかないように思えます。
核分裂反応は確かにスゴイことのように見えますし、理論は確かに科学の結晶ですけれども、それを実現するためのプラントなんてのは、、泥臭さの2乗のような世界であり、したがって異様に安全を配慮しても、なおかつ隙間だらけの世界なんだということを彼らは想像出来るはずもありません。
真剣に勉強しようとしない、考えようとしない彼らに、原発が利権の道具に出来る程度の軽々しさしか持たせなかったことこそが問題だと思うのです。
市井のゲームの形勢ばかりに興味を示す人間は、社会総体にとって、未来にとって害悪以外の何ものでもないことを、今、叫ばなければなりません。
-2011年4月20日-
原発のこと 目次
一粒の種 | 命の重み
最後に、砂川恵理歌さんの「一粒の種」をこの度の東日本大震災を被災された皆さんと本ページをご訪問頂いたすべてのあなたとそして僕の亡き母と共有したいと思います。
そろそろあなたを 次の場所で喜ばせてあげるから
後悔の念止まない僕には、この言葉が身に沁みます。
僕は今、むしろ、残された者が逝った者に対して捧げたい歌として捉えています。
さて、あなたは、どんな言葉が身に沁みるのでしょうか?
キリストの言葉
一粒の麦、もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。死なば多くの実を結ぶべし。
を彷彿とさせる曲ですね。
元は、宮古島において、がん患者の故中島 正人さんの亡くなる前の言葉を、脳梗塞で倒れた母親に届けたいと看護師の高橋 尚子さんが詩にし、シンガーソングライター下地 勇 氏が作曲して出来上がった歌だそうです。




