阪神タイガースと虎風荘寮長の思い出
1962年と言えば、2リーグ分裂後、阪神タイガースが初めて優勝した年。
上の画像は、その主力選手のサイン色紙です。
どの選手のサインかお分かりになりますでしょうか?
約1名ははっきりお分かりになりますよね?
[ ヒント ]
この年のメンバーは下記に記されています。
1962年阪神タイガース優勝メンバー→
1964年阪神タイガース優勝メンバー→
「介護のこと」とは全く関係のない話になってしまいますが、僕の母親とは切っても切れない父親を回顧する中で、千人針の次に出てくるのが阪神タイガースなんです。
上の色紙にもある1962年の頃から僕の親父は某銀行の甲子園支店にて支店長代理を務め、仕事の関係上で阪神球団フロントと親しくお付き合いをさせていただいていたようです。
親父は、この4年後には病気によって帰らぬ人となり、この甲子園支店が最後の職場となったのですが、阪神球団との関係の中で、兵庫県警でデカ長をされていたN氏とも親交が深かったようで、親父の没後も私たち親子を心配した年賀状を毎年いただいていた思い出があります。
N氏は、その後、阪神球団のフロントとして、虎風荘の寮長を12年に渡って勤められたようです。
今、僕は、この寮長の温かい目にも支えられていたという忘却の彼方に追いやられていた事実を噛み締めています。
今、まだご健在であれば嬉しい限りです。
そんなご縁でいただいていたのが、ここで掲載している3枚の色紙。
1枚は親父がいただいてきたものであり、他にも数枚と、同じように小山正明投手単独のサイン及びメンバーのサインをしてある硬球を保存しています。
親父は、小山投手とは個人的にもお話をさせていただいたことがあると言っていたように記憶しています。
ただ、下の2枚は、親父が逝去した数年後、虎風荘の寮長になられた時期に、N氏が母子家庭の僕を気遣ってプレゼントしてくれたものです。
さて、最初の色紙の1962年当時は、僕はまだ8歳。
上記の1964年のスタメン表ははっきり記憶に留めていますので、野球を興味を持って見るようになったのは9歳~10歳ぐらいだったのでしょうね。
大洋ホエールズ近藤 昭仁選手の名前もあの独特な打法も鮮やかに覚えていますから、多分間違いないでしょう。
思い返してみれば、親父の甲子園支店在職中に2回も優勝しているのですね。
よく考えてみれば、凄いことですよね。
あれだけ優勝できそうでできないチームがですよ・・。
親父は、阪神球団の福の神だったのかもというような、少々穿った見方も出来ないでもありません。
左は、ご存知、田淵幸一選手のサインです。
田淵幸一選手の阪神入団は1968年です。
親父の逝去が1966年ですから辻褄があいませんね。
実は、前述しましたように虎風荘の寮長になられたN氏が、母子家庭の僕を慮ってプレゼントしてくれたものなのです。
本当に、人は知らず知らずのうちに誰かの暖かい目に守られて生きているものであり、人はその文字の作りの通り、支えあって生きていくものなのですね。
ですから、感謝の念を忘れたときに、人は人でなくなるのだと思うのです。
物心ついてからの親父との思い出で鮮やかに思い出せることは少ないのですが、この頃の日曜日に甲子園支店に連れて行ってもらったことがあることと、甲子園球場での阪神・巨人戦ナイターに連れて行ってもらったことだけはおぼろげに記憶に残っているのです。
60年代の優勝のその日を再現してくれるページがありました。
懐かしいシーンを蘇らせたい方は下記ページを覘かれてみてください。
1962年10月3日阪神タイガース優勝が決まった日→
1964年9月30日阪神タイガース優勝が決まった日→
右の色紙は、4人のサイン色紙です。
これも同じく、N氏が僕のために贈ってくれた色紙です。
さて、誰のサインだかお分かりになりますでしょうか?
[ ヒント ]
ちょうどN氏が虎風荘の寮長になられた1970年のメンバーです。
何故、この年に優勝できなかったのだろう?
そんなメンバーです。
僕が好きだった下手投げの投手が居ます。
[ 答え ]は、画像クリックで!
60年代、70年代の阪神タイガース。
あなたは、どの選手が思い出に残っていますか?
僕は、1964年~1968年当時では、やはり、
- 投手王国を築いた小山正明・村山実・バッキー
- 黄金の二遊間コンビ:[鎌田実・吉田義男]+本屋敷錦吾+安藤統男
特に、鎌田選手のプレーが好きでしたね。 - 遠井吾郎ちゃん
- ヒゲツジ:辻佳紀
1968年~1980年当時では、やはり、
- 投手では何と言っても江夏豊・若生智男・上田二朗・山本和行
- 黄金の二遊間コンビ:[中村勝広・藤田平]
- 主砲では、当然、田淵幸一・ブリーデン・掛布雅之
- ラインバックは最高だった
- 代打の神様:桑野議
こうして思い返すと、N氏にはとても気にかけていただいていたことがジワジワと思い返されます。
そういえば、大学受験の際にも、電話で結果をおふくろに尋ねてくれていたような記憶がうっすらと蘇って来ました。
このように文章を書きながら思い起こしていくと、忘れ去っていた記憶が呼び戻されてきます。
僕は、肉体労働することが如何に大切かということを勉強面でも説いているのですが、今、文章を書くということの効用をしみじみと感じています。
僕は、大学に入り、徐々に野球に興味を失くすとともに、N氏の気持ちまでをもいつしか忘れ去ってしまっていたのですよ。
おふくろも女性ですし、まだ40歳代でしたから、男性の親切にも少し距離感をおいていたようにも思うのですが、それは別問題として、こうして文章にして、初めて事実関係が思い出されてきたこと、何も恩返しすることもなく忘却の彼方に追いやっていたことを悔やむ気持ちでいっぱいです。
ただ、僕自身、一生忘れたまま朽ちていくよりは良かったのではないかと感じるばかりです。
さて、その後の僕は、する方ではテニスとサッカー、見る方ではサッカー・アメフト・ラグビーの方が圧倒的に好きになり、大学生となってからはほとんど見なくなり、27歳前後を境目にテレビですら野球を見ることは全くなくなりました。
阪神タイガースで言えば、ちょうど、ラインバック・ブリーデン時代のガッツ野球で見る機会も復活はしたのですが、これを最後としてプッツリと見なくなりました。
激務が当たり前の業界への転職と重なっていますから、物理的な要因も確かにありますね。
独立したらしたで、その上に、野球やスポーツのことなどには構っていられない精神的な圧迫感も加わり、ますます見なくなった感じでしょうか。
僕の息子も、昔は毎試合欠かさず見ていたようですが、20歳過ぎ頃から本当に見なくなりました。 お暇なときは見ているようですが、やっぱりサッカーの方が面白いようです。
-2011年9月18日-
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