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母が逝った日の桜香に添えて
願わくば花の下にて春死なん その如月の望月のころ
花をこよなく愛した母が、まさに西行法師の願いの如く、庭桜満開の中、帰らぬ人となった。
2011年1月半ばより、わずか3ヶ月の間に生涯においても初めてとも言える入退院を繰り返し、
4度目の救急で運び込んだその翌々日の早朝に静かに息を引き取った。
傍らの椅子に座り、ここ数日、母に吐いた大人気ない言葉を何度も詫びながら背中をさする。
まるで、このときを待っていたと言わんばかりに、母の心拍数は下がり、有声の大きな息が
無声の小さな息に代わり、そのままその生涯を終えたのだった。
母は、僕が仮眠から目覚め、語りかけてくれるのをひたすら待っていたのだろう。
この間、わずか15分ほどでありながらゆったりした時の流れ。
親子の縁の不思議を感じずにはいられない瞬間の中で母は朽ちたのでした。
快方に向かうという希望が、入退院を重ねるごとに削られていった感があるとはいえ、
あまりにも青天の霹靂とも言える急変。
腸穿孔による急性腹膜炎?・・・何故???
そんな思いが今もよぎります。
四十九日を勤める今、何気に口について出てくるのは、グレープの名曲「無縁坂」。
僕が、大学で生き方を模索していた青春真っ只中の時代によく口ずさんだ懐かしき歌。
歌詞を見ずともほとんど空で口をついて出てくるほどよく暗唱している。
運がいいとか 悪いとか 人はときどき 口にするけど
そういうことって 確かにあると あなたを見てて そう思う
人の世の不条理について妙に納得させられるこのフレーズが、ふと口をつく。
若くして連れ合いを亡くした母は、今思えば、そのことが人生の全てを支配したのかもしれない。
父を亡くしたときの僕は、まだ小学6年生だったから、今生では、もう会えないということの寂寥感が
これほど深いものであるとは正直想像できなかった。
むしろ、僕は周囲に暖かく支えられる母を幸せ過ぎると大きく誤解していたのかもしれない。
母はすべてを 暦に刻んで 流して来たんだろう
悲しさや 苦しさは きっとあったはずなのに
・・・
めぐる暦は 季節の中で 漂いながら過ぎてゆく
母が流してきた暦に思いを馳せることなく、弱り行く母に対して、
病院で、退院後の束の間の自宅で、僕はなんと酷い言葉を投げつけたのだろう。
投げ捨てた台詞の一言一言が、その魂を復活し、群れを成し、
矢となって僕の心臓を目がけて鋭い軌跡を描いて突き刺してくる。
そう、僕が母の寿命を削ったに違いない・・・。
僕は人間のクズだったのかもしれない・・・。
フォークソングがニューミュージックへと流れ出した1970年代。
五つの赤い風船、岡林信康、フォーク・クルセダーズ、高石友也などから、吉田卓郎・井上陽水を経て、かぐや姫、松任谷由実、小椋佳を筆頭とするニューミュージックへ移行した時代であり、僕の中ではグレープと中島みゆきで完結することになる時代です。
70年安保の残り香が、まだ、世界の未来への希望を映し出していた時代でした。
さだまさしさんは、小椋佳さんとともに、美しい日本語、美しい詩に包んで、
僕たち一人一人の本音の素直な思いや憧憬を運んでくれるシンガーソングライターでした。
人は、これほど息子に看病と介護をしてもらえた母は幸せだったと言ってくれます。
このようなケースは普通ではあり得ないことだと賞賛してくれます。
確かに、サラリーマンではなし得ないことでしょうから正鵠を射ているのかもしれません。
しかし、本当に過酷な介護だったと言えるのは、ほんの数ヶ月だと僕は感じています。
その最後の数ヶ月に、僕は介護の疲れと仕事が出来ないストレスが極限に達していたとはいえ、
慙愧の念に耐えない過ちを数度犯してしまいました。
「あなたがお母さんを甘やかしすぎたのよ」
母の友人の鋭い言葉の中に、全ての答えはあったような気がします。
積年の僕の中の抑圧感が、反って最後の最後に母にその反動を味わせる結果となってしまった。
最後まで徹底して甘やかす一貫性を、こんなときに放棄した自分の身勝手さが許せない。
ネットショップの常連のお客様や仕入れて頂いている取引先からは「優しいお人柄」などと言って
頂くこともあるわけですが、「本当に自分は優しいのだろうか?」、「愛という観念だけを愛している
ろくでなしではないだろうか?」といった自己否定感に苛まれた最後の数週間でした。
本サイトでは、母の看病・介護を通して僕が感じたこと。
親子のこと、自由のことなど、そんな小さな世界を通して見えた「命の重み」を主題として、東日本大震災で大きく顕在化した原発問題をも含めて書き起こしていくことにしました。
今の僕があるのは、決してお金や世俗的な地位に固執せず、ひたすら人として正しい道を歩むことだけを伝えてくれた母やその周囲の親戚たちの「ことづけ」を僕なりに受け取ったからです。
そのおかげで、多分に世にはなかなか相容れぬ側の人間となり、苦労も多いのですが、今回の原発問題では、自分自身の過去の一度限りの汚点を断罪するとともに、自分の魂の方向性が決して間違ってはいないことを再確認できました。
一粒の種 | 命の重み
最後に、砂川恵理歌さんの「一粒の種」をこの度の東日本大震災を被災された皆さんと本ページをご訪問頂いたすべてのあなたとそして僕の亡き母と共有したいと思います。
そろそろあなたを 次の場所で喜ばせてあげるから
後悔の念止まない僕には、この言葉が身に沁みます。
僕は今、むしろ、残された者が逝った者に対して捧げたい歌として捉えています。
さて、あなたは、どんな言葉が身に沁みるのでしょうか?
キリストの言葉
一粒の麦、もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。死なば多くの実を結ぶべし。
を彷彿とさせる曲ですね。
元は、宮古島において、がん患者の故中島 正人さんの亡くなる前の言葉を、脳梗塞で倒れた母親に届けたいと看護師の高橋 尚子さんが詩にし、シンガーソングライター下地 勇 氏が作曲して出来上がった歌だそうです。
学生のとき、一乗寺の京一会館にときどき一人で映画を見に行くことがありました。
一乗寺には、友人も下宿をしていたので、結構馴染みのある場所になっていました。
藤純子や高倉健の任侠シリーズも結構見ていましたけれど、その中でも松山善三監督作品は
印象に強く残っています。
「われ一粒の麦なれど」とともに、「名もなく貧しく美しく [DVD]」を続編も併せて観たことを
思い出します。
前者は、これこそ、キリストの言葉そのものの映画であり、当時の僕は素直に感動し、単純に、素直に僕もそういう生き方をしたいと思ったことを覚えています。
そして、今の自分の軸にしっかり沁み込んでいるような気がします。
そういえば、監督の奥さんである高峰秀子さんも昨年末に亡くなられたのでしたね。
奇しくも、高峰さんよりもちょうど一つ下の僕の母の左足が突如動かなくなった日に・・・。
ですから、尚一層、一途さや潔さが僕の中ではダブって見えてきたりするのです。



